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2013.01.25 Pessoa
 ハサンです。

 つい先日、フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』が平凡社ライブラリーから新編として刊行されまして、以前の思潮社版が大幅に改訂増補され、しかも価格もぐっと安くなっており、早速購入した次第です。
 御存じない方もいらっしゃるかもしれませんので簡単に説明しておきますと、フェルナンド・(アントニオ・ノゲイラ・)ペソアは、20世紀初頭のポルトガルの詩人。その最大の特徴は、ペソア本人名義以外にも複数の「異名」によって執筆し、それぞれの「異名者」にそれぞれ異なる人格と書法を創造し与えたことでしょう。そして、この『不穏の書、断章』は、ベルナルド・ソアレス名義による『不穏の書』という散文作品(の一部)と、ペソアの様々な異名者の作品から訳者の澤田直氏により抽出された断章とで成るものです。

 これらを箴言集として読むことは、ペソア本来の意図するところではないのでしょうが、それでも実に示唆に富んだ言葉が並んでいます。
 とりわけ僕が共鳴し考えさせられたのは、アルヴァロ・デ・カンポス名義の


霊感(インスピレーション)を受けた詩人という神話から脱却しなければならない。


というもの。
 詩作に限らず、とかく創造行為というものは、その過程が必ずしも論理的とは限らず、また体系的に理解可能なものでもないので、「天賦の」才や能力のせいにされ、それ以上の追究を免れがちです。しかし「霊感」の背後には必ず、(特定の、あるいはあらゆるものからの)影響と、研鑽と、鍛練とがあるはずであり、それを忘れてはならないと思います(というのが僕の個人的な解釈です)。
 また、僕は日頃から「アーティスト」という言葉が嫌いなのですが、何となれば「芸術」(少なくともデュシャン以降の)とは単なる概念に過ぎず、とどのつまり「言ったもん勝ち」以外の何でもないからです(別にデュシャン自体が嫌いなわけではないですが)。常に僕は「アーティスト」ではなく「ミュージシャン」「音楽家」でありたいと思っていますし、そのためには常に、再びペソア(アルベルト・カエイロ名義)の言葉を借りると


本質的なことは見ることを学ぶことだ
考えずに見ることを
見ているときに見ることを学ぶことだ
見ているときに考えたり
考えているときに見たりしないで


ということを、肝に銘じておきたいと思います(難しいですけどね…)。

 融解建築も、霊感による芸術ではなく、単に「聴かせる」「踊らせる」音楽を目指しておりますよ!
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