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 ハサンです。

 「良いライブ」というような話になるとしばしば出てくるのが『(ステージと)観客との一体感』あるいは『観客(同士)の一体感』(似て非なる概念)ですが、はたしてこれらは「良いライブ」にとって必要なものなのか? と、ふと思いまして。
 勿論、『観客との一体感』ないし『観客の一体感』を呼び物にするライブはたくさんあり、それらの中には素晴らしいものもまたあります。例えば上々颱風やフェルミン・ムグルサなんかは、『観客との一体感』も『観客の一体感』も、非常に巧みかつ自然に(僕のようなコール&レスポンス大嫌いの客にとってさえ)味わわせてくれます。また、特に野外フェス等では、同じ場を共有しているということに発する多幸感を感じられることが確かにあります。因みに僕は、「周りの客が一体感を感じている」ことで醒めるような甚だノリの悪い人間ですが、それにも拘わらず体感することがあるということです。
 この感覚はかなり強力なものであり、人によってはこれがライブの一番の目的でもあるでしょう。また、一体感を感じられるライブには水準以上のものが多い(というよりある程度の質を確保しないと一体感を実現出来ない)ですが、一体感の無いライブには往々にして酷いものもみられます。なので、「良いライブ」と『観客との一体感』『観客の一体感』がセットに語られがちなのも、頷けなくはありません。
 ならばやはり、良いライブには『観客との一体感』『観客の一体感』が必要なのか?
 思い出すのは、2001年の京都 MUSE HALLでのMAGMA、僕が今までに観た中で最高のライブ体験です。この時、僕は『観客の一体感』を感じたか? 否。周りを気にする暇も惜しい、自分の感覚器のあらん限りをステージへと向けていました。では、この時、僕は『観客との一体感』(=ステージとの一体感)を感じたか? これまた否。一体化どころか、遥か高みから押し寄せるエネルギーに圧倒されるばかりでした。つまり僕は、『観客との一体感』も『観客の一体感』も感じておらず、言うなれば『音楽との一体感』のみを感じていたのです。
 無論、これが総てではありません。こうでなければならないと言うつもりもありません。人それぞれ色々な感じ方があり、好みがあり、楽しみ方があるでしょう。ただ、この時、これが僕の理想になり、指針になったのです。
 そもそも一体感自体が完全に主観的なものであり、「他者との一体」といいながらその実は自己の内にしか無い幻想と言えなくもありません。しかし、ライブという場には、演る側にも聴く側にも、音楽は確かに存在するはずです。だとしたら、その音楽のみに精神と肉体を委ね『一体化』することは、演る側にとっても聴く側にとっても無上の幸福だと思う次第です。滅多にそんなことありませんがね!

 そんなこんなで、理想に向かって飽くなき邁進を志す所存の融解建築、はたして『一体感』の実現なるか!?
 まずは明後日(というか明日)の PROGRESSIVE 三都物語@中津 Vi-code、御期待ください(お手柔らかに)。
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